その日は朝から、何となく予感がしていた。
何の、と訊かれてもよくわからないのだが、悪いような、良いような、不思議な予感だ。
街を歩いていても、どこかそわそわしているのが自分でも分かる。
(あ〜もう。何なんだよ、一体…)
たまたま入った街の食堂で、彼はテーブルにつっぷしていた。
「何、どうしたの永禮。いつもにも増してバカっぽく見えるわよ?」
グラス一杯の水と同時に与えられた少女の一言に、更に沈み込む。
「ミッシェ…バカって言うな…」
この食堂の看板娘。名をミッシェと言う。
「あんた、黙ってればそれなりなんだからさぁ…もうちょっとこう…行動に気を付けたら?」
余計バカっぽいのよ。
呆れたように呟きながら、ミッシェは永禮の額をツンツンと小突いてみる。
思うにこの男は、このバカっぽい行動の所為で、女運の半分くらいを無駄にしている。
黙っていれば『爽やかな好青年』または『守られたくなる』くらいは言われるような顔なのだ。
精悍な、という表現がしっくりくるかもしれない。
きりっとした眉に、意志の強さが宿る深紅の瞳。180センチを超える身長に、自然に跳ねる金髪。真面目な時からはちょっと想像出来ない、実は愛嬌のある笑顔。
そして、強い。
こうしてテーブルにつっぷしいじけている姿からは想像できないほど、永禮は強かった。
先日の『グラン・ノイ、剣術大会』では他を寄せ付けず一位だったし、街のケンカでも一度として負けたことはない。
本来、そこまで強いのならば城で『近衛兵』を目指しても良いくらいなのだ。実際、永禮も昔は目指していた。
それがどうしてこんな所でくだを巻いているかと言えば…。
(この、おバカなオツムと、お人好しの性格の所為ね…)
城の兵士は、その腕と共に高い知力が要求される。まず、知力の面で永禮は落とされた。
バカなのだ。仕方ない。
そのうえ、『そこまで強いのだから』と特別に許された二度目の試験でも、この男は『今にも生まれそうな妊婦』の為に、そのチャンスをふいにした。
その所為で、この男は今、フリーの傭兵として生活費を稼いでいた。
本当は次の年に再チャレンジを考えていたらしいが、傭兵稼業が密かに気に入ったらしく、慣れない勉強をして余計バカになるよりは、と近衛兵は諦めたらしい。
(やっぱ、バカだわ)
国家公務員の方が給料安定してるのに。
女性からだってモテるのに。
あぁ、ほんとバカ。
「ミッシェ、注文まだぁ?」
奥の席から声がかかる。
そうだ。こんな男に構っている暇はないのだった。
「あ、は〜い!」
こんな男は、早々に見捨てるに限る。
人が、見えた。
とても綺麗な人だ。
何人もの人の中にいても、決して紛れることはない。
通り過ぎる人が、みんな振り向いていくくらい、綺麗な人。
いた、と思った。
見つけた、と思った。
気付いた時には、店を出ていた。
右手に紙袋を抱えて、俯き加減に歩いている。
やっぱり、綺麗。
しばらく見つめていたらしい。
『その人』が、唐突に振り向いた瞬間誰かにぶつかって、荷物を取り落とした。
「あ…」
まずい。
あいつ、ここらじゃ有名なゴロツキじゃないか。
何度か永禮とやり合って、しかし負けたことはないが、仲間の数が多くて結構困る相手。
予想通り、いちゃもんを付けられているようだ。
男が『その人』の腕を掴んで引っ張り上げる。
「あいつ…っ」
思わず、走り出していた。
『その人』が実は全然動揺していなかった、なんてことには、全く気付かずに。
…だって、バカだから。
「大丈夫っすか!?」
目標を違わず跳び蹴りをかまして、『その人』を振り返る。
「あ」
『その人』は地面に倒れていた。
どうやら手を掴まれていた為に、そのまま引っ張られてしまった様子。
(しまった〜!)
助ける相手を転ばせてどうする!
自分に激しく突っ込みつつ、慌てて『その人』へ手を伸ばす。
「起きられますか…!?」
「ぇ…、あ、はい。大丈……っ」
しばらく唖然としていた『その人』は、永禮の声で我に返ったように起き上がろうとした。
何故か永禮の手には触れずに、地面に手を着いて。
その結果、『その人』は小さな呻きと共に蹲ってしまう。
「ど、どうしました!? どこか痛めましたか!?」
非常にマズイ状態だ。
転ばせた上に、怪我させてしまった。
しかも、
(こんな美人に〜〜〜!)
バカである。
「肩が……ッ…」
どうやら肩を痛めたらしい。
患部を観ようと肩に触れると、『その人』の美しい顔が苦痛に歪む。
「あぁ、筋をやっちゃったみたいですね…ホント、すみません…」
申し訳なさすぎて、涙がでそうだ。
「いえ、大したことは……っ」
やはり、相当痛いようだ。
(そうだ!)
「あの、どちらまでっすか!? 俺、送りますよ!」
突然の申し出に、『その人』はきょとん、とした表情をしている。
「え、でも…」
「その肩じゃぁ、こんな大きな荷物を持つのは無理でしょう? 俺が送ります!」
『その人』はしばらく考えるように俯き、やがてまた顔を上げる。
今度は、なんと極上の微笑み付きだ!
「では、お願いしてもよろしいですか?」
「……っ、もちろん!」
では早速、と永禮が立ち上がらせようともう一度手を差し伸べると、『その人』は困ったように曖昧な笑みになってしまう。
「あの…もしよろしければ、あなたのほうから私の手をとってlくださいませんか…? その、私は目が見えないもので…」
目が、見えない。
(え、えぇぇぇぇぇえぇぇぇ!?)
成る程。だから最初に立ち上がろうとした時、永禮の手を取らなかったのだ。
しかし、気付かなかった。
不自然なところなど、何処にもなかった。
ただ、視線がいつも地面を向いていただけで…。
「ぁ、はいっ。すみません、気付かなくて…」
慌てて謝ると、『その人』も申し訳ないような表情になってしまう。
「いえ、謝られるようなことでは…」
永禮がそっと『その人』の手を取ると、『その人』はほっとした表情をする。
さらりとした掌の感触に、胸が高鳴った。
「ありがとうございます」
肩に負担を掛けないように慎重に立ち上がると、永禮は地面に落ちっぱなしにされていた荷物を拾い上げた。
「あの、お名前は…?」
「あ、永禮っていいます。ここら辺でフリーの傭兵やってるんです」
成る程、と『その人』が呟く。
「成る程……って?」
「いえ…あなたの跳び蹴り…あまりに風の切れる音が鋭かったものですから…」
くすくすと微笑みを浮かべながら、楽しそうに話す『その人』に、またしても心臓が高鳴ってしまう。
「え、えと、じゃぁ行きましょうか! アイツが起きてきちゃうとまた厄介ですから」
「えぇ」
頷く『その人』に連れ添って歩く。
(あ、まずった。今名前訊いちゃえば良かった〜…。タイミング外したよ…)
歩き出して気付いたが、まぁいい。
たぶん、チャンスはまだある。
だって、
見つけた。
見つけた!
俺の、運命の人だ!
novel
next
back